聴診記(院長のひとりごと)

新年もハローライフ

佐藤 暢也

[2012年1月14日]

 新春、明けましておめでとうございます。
辰年です。私の父は、辰年生まれで「達」が名前についていました。彼が今の私の齢の時、私は21歳でした。大学3年生。
私はといえば、長女は、もうすぐ19 歳。大学1年生。私、五十を越えて、父の十三回忌も終え、いよいよ「老い」の影が忍び寄る年齢となったことを自覚してきたこの頃であります。
それでも、慢性的な腰痛があるものの、最近の超音波エコー検査では、肝・腎・膵・胆すべてクリアで健康でした。とは言え、○○○○(内緒!)が健康上の悩みです。

◆ 秋田さきがけ新聞の新連載小説
そんな折りに目についたのが、55歳からのハローワーク。はぁ?転職のことだろうか。いやいや間違いでした、「55歳からのハローライフ」でした。
12 月15 日から秋田さきがけ新聞に連載されている村上龍 作・画の連載小説です。
村上龍氏の著作は、芥川賞受賞の「限りなく透明に近いブルー」の激烈な描写が印象的でした。「13 歳のハローワーク」は、氏の130万部を超すベストセラーです。その後、いくつかの本を手にしましたが、「無趣味のすすめ」では、実に、私の考え方や趣味(?)と合っているので共感しております。
 その小説連載にあたって載った記事に、次のような行(くだり)がありました。「ある程度の経済力、ある程度の社会的尊敬、それに信頼できる家族や友人とそのネットワーク、その3つのありがたさが、歳を取るにしたがって身に沁むようになる。」う〜ん、なかなか一般的には難しい条件です。そして、この小説は、「格差を伴って多様化した定年後」のサバイバル方法を物語として表現していくとのこと。
まだ、始まったばかりですが、これからの展開が楽しみです。

◆ 私たちの使命
先の3つの課題を考えてみると、確かに55歳までに残された時間が少なすぎるとか、すでに55歳をはるかに越えてしまった人は、どうするの?という問題に直面します。私自身は、これまで培ったいくらかの社会性やネットワークがあるものの、あと数年の猶予期間に、少しはバタバタあがいてみようかという心境でいます。
読者の皆様に私たち港町歯科クリニックができることは、なんと言っても、「健康支援のネットワーク」です。これは、3番目の条件に匹敵すると思っています。たぶん、サバイバルの最良の方法は、健康でいることでしょう。
「生涯健康、家族みんなが健康」をキーワードとして、健康サポートプロジェクトを実践しております。その一つが、この機関紙、未来健康通信であります。
 北国の冬は、寒さ厳しく、雪が多い時がありますが、それでも、ぜひ、定期的なお口のクリーニングにお越しください。
冬の健康支援プロジェクトも行っていますので、そろそろクリーニングの時期になった皆様にお願い申し上げます。

今年はなにやったかな?

佐藤 暢也

[2011年12月12日]

 さて、ふと2011年、今年はなにやったかなあ〜?と考えてみました。
年初の診療開始日は、早々にスタッフと新年会をやりました。この冬は、なかなか強敵でした。大雪です。診療所は連日、男手を繰り出して、朝みっちり雪かきでした。そんな季節の中、娘の大学受験が始まり、センター試験がありました。それから、本試験やら何やら、本人以上にハラハラドキドキの期間がありました。
 私といえば、昨年末に日本歯内療法学会の「歯内療法」という公式学会誌に投稿しました。何度か厳しい審査を受け、ようやく今年の第32巻 第1号に掲載されました。
「もう、こんな苦しいことは、二度とすまい!」(笑)と誓った一大事業でした。そのおかげで、歯内療法学会指導医に返り咲くことができました。
 そして3月、ようやく娘の最終進学先を決める頃、まさに、この世の終わりかと思った東日本大震災とそれに伴う福島原発事故が発生。その結果、大学は放射線の影響のほとんどない関西の地に行くことになったのです。
さらに、予定していた4月の米国歯内療法学会(AAE)、サンアントニオ行きは残念ながらキャンセル。
そこで、娘の入学の関係で、大阪に行ってみました。そしたら、その日は、大当たり。何と大阪造幣局の桜が、ちょうど今が盛りの満開だったのです。128品種352本の桜が咲き乱れ、ピンク、白、赤、黄、緑、紫といった見たこともない花もあって感激でした。
 初夏、6月に、私が歯科医師人生のスタートを切った日之出歯科診療所がリニューアルオープン。大きく変貌をとげ、見学させてもらいました。診療台数は41台、圧倒的な規模です。
さらに、帯広に近いトマムで結婚式もありました。トンネル火災で有名となった石勝線の「特急スーパーおおぞら」に乗ってきました。2回も「えぞかもしか」をはねてしまい、緊急停車という経験もしてきました。
トマムは、スキーやゴルフのリゾート地。国体で優勝した美人スキーレーサーの心のこもったリゾートウエディング、ジューンブライド、素晴らしかったですね。
 そして、暑い夏。長崎で歯内療法学会が行われました。今回は、学会で3つ発表してきました。その1つがヒットして、昨年のデンツプライ賞に続いて、念願の「大会会長賞」を受賞することができました。
長崎は今日も雨、ということもなく、快晴で暑く、異国情緒とおいしい食べ物を楽しんできました。
 9月には、東日本大震災に被災した仲間を応援するため、デンタル・ビジネス・マネージメント(DBM)の協力を得て、大阪でフェニックスセミナーを開催。交通費も講師謝礼もなし、集めた参加費は、すべて被災した仲間へ拠出という趣旨でした。関西の先生方の協力で大成功でした。また、9月には日本口腔インプラント学会の専門医試験の申請、10月には、日本歯内療法学会の認定研修施設指定の申請をしました。
 11月には、公益社団法人日本口腔インプラント学会東北北海道支部総会学術大会を私が会長をつとめる秋田インプラント研究会の主管で開催しました。秋田初の「インプラント・市民フォーラム」もやりました。当クリニックをご愛顧いただいている多数の皆様の出席をいただきありがとうございました。準備に3年費やし、学会実行委員をやってくれた仲間の先生、秋田大学の先生、そのスタッフの献身的なご協力のおかげで、他県・道からお越しいただいた皆様から「いい学会だった、素晴らしかった」と高い評価をいただきました。まさに結束の勝利です。大成功!
 11月下旬は、歯内療法学会の理事会や専門医教育セミナー、次週に、顕微鏡歯科学会での講演でした。
そして師走へ突入。今年ももう少し残っていますが、これが私の2011年の概要でした。読者の皆様はいかがだったでしょうか。
来年も、皆様の健康を守るために努力して参る所存でございます。

ミラクル!

佐藤 暢也

[2011年11月5日]

月は、霜月(しもつき)。
いよいよ平成23年も年末に向かい、冬到来という雰囲気になってきました。
たぶん私の今年一番はこれで決まり!


【未来健康通信 8月号より抜粋】
■行方不明?
私は、今でも大学浪人時代の一人の大阪の友人を思い出しては、ウェブの情報を頼りに探すことがあります。さすがに、探偵に捜索を依頼するまでには至っておりません(笑)。
きっと彼は私のことを忘れているのだろうと思います。
彼の友人までは辿り着いたのですが、その友人も彼の行方を知らないのでした。
あの頃は、ピンクレディ絶頂期だったなあと思いながら。


ある日のことでした。午前の診療を終え、いつものように、パソコンに届いたメールのチェックをしました。
当クリニックでは、患者さんからのメールによる相談を受け付けております。
そこに、新しいメールが一通入っていました。
●私「どれどれどんな相談だろう?」
○メール
港町歯科クリニック治療のお問い合せフォームよりお問い合わせがありました。ご本人様へご連絡くださいますよう、よろしくお願い申し上げます。
[名前]T.A 
●私「ん?なんだろう、この名前は?」
○メール
[性別]男性 [年齢]51 
[職業]会社員 
[住所]兵庫県○○市○○町 △|△△|△△△
[その他]ご無沙汰しております。活躍している様子は、WEBで以前から見させていただいていましたよ。聴診記もみていますし、忘れていませんよ(笑)。ご無沙汰してすみません。
●私 「えぇ〜!」
○メール
娘さんも、大阪に来られているようですね。うちは、高校3年の娘が今、受験でがんばっております。今、私の方は兵庫県の○○市という大阪、神戸のベッドタウンに住んでいます。ぜひ、娘さんのところに遊びに来られたら飲みにいきたいですね〜。(中略)
メールが分からなかったので、お問い合わせに入れさせて頂きました。連絡先を教えて頂いたらゆっくり近況報告をしますね。では、時間のあるときに返信ください。 T.A
●私「そうか!8月号のあの文章を読んで、自分のことだって分かってくれたんだ。」

そうです。なんと捜索中の彼からのメールでした!ビックリです。ついに、33年間音信不通となっていた友人とつながった瞬間でした。まるでテレビ番組のようですね。
念ずれば通ず。長年探し続けていた甲斐がありました。デジタル通信時代の恩恵ですが、この聴診記(WEB版の名前です)もなかなかやるじゃないか!いよいよ久々の再会に向けて活動開始です。
続編を乞うご期待。

「フィロソフィー」って何? それは、人生の役に立つの?

佐藤 暢也

[2011年10月5日]

あの3.11大震災から半年が過ぎました。先日、被災した仲間を応援するためのセミナーが大阪で行われました。名前は、「フェニックスセミナー」。
そうです、フェニックスという名の不死鳥のように甦って欲しいという願いを込めたプロジェクトでした。
そのセミナーの受講料から得られた収益金は、すべて私たちの仲間の再起資金として拠出することとし、講師の先生は、交通費も何もかも無償です。私も講師(全部で12名)の一人として、かつ受講生として、参加してきました。
ここで、私の講演の要旨をお話したいと思います。
内容は、「フィロソフィー」をテーマにしました。
「フィロソフィー」とは、ギリシャ語のphilos(愛)+sophia(叡智)の結語であり、日本語では、明治時代に西周(にし あまね)により「哲学」と翻訳語がつくられました。平常時には、あれこれ考えなくても自動的に機能していた生活も、経済混乱や大不況、そして今回のような大震災に被災してしまうと、うまく機能しないことに気づかされました。そのような有事の際に必要となるのは、「フィロソフィー」であると私は考えたのです。
「フィロソフィー」は、個々人の意識的で深遠な思考の営みの果てに形成され、思想や理念にたどり着くものです。
さらに、生活習慣、価値観にも関わり、感受性も備えていると言われております。でも、難しく考える必要はないのです。それは一人ひとりに特有なものであり、自由なものなのです。もっと簡単に表現すると「誰も私の代わりに考えてくれないし、誰も私の代わりに生きてくれない。」のですから、「一生懸命、自分で考えて行動する」のです。「いま、ここ」に身を於き、足るを知ることなのです。
あまり人の言うことを信じすぎずに、その分、自分で考えることです。あまり願望(ないものねだり)しすぎず、その分、行動することです。また、港町歯科クリニック友の会(New!)は来院していただく皆様の仲間(コミュニティ)として存在していますから、どんどんご利用ください。

ここに私のお気に入りのイラストを掲載します。
今あるもので満ち足りていて、幸せなおばあさん!いいですね〜。これぞ、時を重ねて、哲学しつくした結果と思うのです。いつの日か、私自身がこのような心境に至ることを願い行った講演会でした。

時は矢のように過ぎ去ってしまうから!

佐藤 暢也

[2011年9月5日]

秋田県は、本州の北、日本海側に面している。県内陸の郷里の町は、平成の大合併で横手市となりました。
父亡き後、家族は皆実家を離れてしまい、今では、思い出の地として存在するだけとなってしまいました。

◆ 思い出の写真
小学生低学年の頃の出来事でした。男子は私一人で、女の娘数人と遊んでいる無邪気で優雅な(?)白黒写真が出てきました。(その構図は、歯科医院では今も同じかも知れません。)
当時、お気に入りの一人の女の娘のことを、クラスの授業時間で花壇の手入れの時に、少なからず意識していたことを覚えています。きれいなお嬢さんでした。その人は、中学入学とともに町から離れ、別の学校に行ってしまいました。田舎の町にあっては、それはそれは驚きでした。
それから長い間会ったことはありません。田舎では、成人式も厄年の33歳、42歳も、中学の同期生の集まりになっています。だから、特段会うための理由がなく、互いに県内にいることがわかっていても、ちらっとさえ見ることもなかったのでした。かといって、たまに顔を合わせる同期生だからといっても、区切りの齢(よわい)での集まり以外、お互い連絡を取ることもなく、会って話すこともありません。(この次の集まりは還暦でしょう。)
それでも、その人とは、いつかどこかでちょこっと出会うことができるんじゃないかと、漠然とした思いを持ち続けていました。

◆ 再会
その人と40年ぶりの再会を果たしました。なぜなら、私の母とその娘の母とが今でも交流があり、その縁でした。
私は、その人の実家を訪ね、写真の前で、そっと手を合わせました。
遺影は私の知らない時を刻み、母親となった彼女がいました。どうして一度だけでも生前に会えなかったのだろうか?
きっと会っていても、たいした話もしなかったろうけど…。

◆ できるだけ後悔をしない
良い言葉を思ったなら、声をかけよう。どうしても会っておきたいと思ったら、会えるようになんとかしよう。
でも、そんなことを思い立ってやってみると、相手に、あっけなく、「どういう風のふきまわし?」とか、「どうした、なにかあった?」とか言われるのがオチであることは、皆さん経験済みでしょう。
それでいいんじゃないかと思うのです。3.11のような大震災のような事態だってあるのですから。
だから、今このとき、元気な時に、できることはやっておいた(老いた?)方がいいと思うわけです。

◆ 行方不明?
私は、今でも大学浪人時代の一人の大阪の友人を思い出しては、ウェブの情報を頼りに探すことがあります。さすがに、探偵に捜索を依頼するまでには至っておりません(笑)。
きっと彼は私のことを忘れているのだろうと思います。
彼の友人までは辿り着いたのですが、その友人も彼の行方を知らないのでした。
あの頃は、ピンクレディ絶頂期だったなあと思いながら。

あの大震災の後、まだまだ予断を許さない状況が続いております。
さまざまな仲間(小中高大・社会人・業界人の仲間たち、スタッフと港町歯科クリニックに来院される皆様)と共に、この時を大事にして生きていこうと、しみじみと思うこの頃でした。